ノーゲーム

投稿にもある、ノーゲームデーの話を引っ張ります。

学力向上のためにビデオゲームを子供たちから離す。いいですね。基本的には良い考えだとは思います。

ですが、子供の立場に立って見ましょう。

絶望すると思います。

今の大人たちの考える外での遊び、現代出来る場所なんてほとんどないからです。それこそ、お金がないと遊べません。

公園でボール遊び禁止、大きな声を出すのも禁止なんてところもあります。

道路は無論遊べません。

広場だってほとんどないです。

学校の校庭は放課後は出入り禁止です。

山、川、海は安全性から立ち入り禁止なんてところも多いです。

そうです。遊び場なんてないんです。

田舎にしろ、都会にしろ。

ゲームが人気を博した理由は面白さも去ることながら、奪われて行く遊び場を再び与えられたところにあるんだと思います。

公園からどんどん遊具がなくなって行ってますね。危険だからと。

子供からすると、外で遊びなさいと言われる方が困るんです。

不審者に気をつけて、車に気をつけて、あんまり大声出さないで、ボール使わないで、だけど不健康な気がするから遊具の無い広場で遊んでおいで。

無茶です。

僕たちの世代ですら、すでに外で遊ぶのは難しかったです。

多分いまの子供はさらに肩身が狭いでしょう。

公園で集まって通信ゲームをしてますが、それが最善の選択なんですね。

一方的に与えておいて奪うと言うのも酷な話です。

そして、ゲームを悪だと言う人の魂胆が理解できません。

やる人次第ですよね。そんなもの。

加山雄三だってバイオハザードとかやってるんですよ。

加山雄三がよくて子供がよく無い理由がわかりません。

善悪の判断や、取り決めや決まりごとは親の責任であって、ゲームの責任ではないと思います。

デジタルに関して頭が固い人多すぎだと思います。

歩きスマホ二宮金次郎も同じです。
 
全てはその人次第なんです。

コンテンツに責任を着せるのは、親の能力不足じゃ無いんでしょうか?